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  二・二六事件と近衛上奏文 4 
       (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)2月1日第353号) 

●本稿を書いたのは、実はある日突然、国民新聞の山田恵久さんから山口富永著『近衛上奏文と皇道派』という本を送って頂いたからである。前稿を書いた後、また「こんな本を知っていますか」と電話がかかってきて、またまた送って頂いたのが、三田村武夫氏の著『大東亜戦争とスターリンの謀略』である。昭和六二年に自由社から刊行された本である。薫陶という言葉は山田恵久さんのご高配を忝なくするようなことをいうのだと実感したものである。山田さんのお蔭で三田村武夫という人を知った。同書は『戦争と共産主義』(民主制度普及会、昭和二五年刊)を復刊したものであるが、その中に前回に触れた「戦争指導計画書」についてこう書かれている。

 秘密の長期戦争計画──ここでどうしても触れておかなければならない重要な事がある。それは陸軍の所謂統制派(ファッショ派)政治幕僚と、民間左翼理論家の手に依つて極秘のうちに作成されたものと称される「長期戦争計画要綱」である。
 ……来たるべき第二次世界戦争に備ふる為の長期戦争計画と、この長期戦に備へるための、国内政治経済改革案から発展して来たもので、昭和十年の暮頃、「日満財政経済研究会」といふ極秘機関で作成された「戦争五十年計画要綱」と呼ばれるものである。
 ……十月クーデター計画の後に作成されたものは、ナチ独逸の国家総動員計画と、国防国家建設の思想に学んだもので、陸軍におけるこの計画の中心人物は、永田鐵山を中心とした東條英機、鈴木貞一、そして永田幕下の逸材と言はれた武藤章、池田純久、秋永月(つき)三(ぞう)等で、民間では大川の一派であつたらしく、この計画は「日本国家改造要綱」と呼ばれていた。(三三~三四頁)

●「戦争指導計画書」には他に呼名があったことや作成時期について微妙にズレがあるが、この戦争計画が北進策に基づいてソ連の侵攻に備えるという皇道派の考えを退け、南進策を採って対支戦争の泥沼に嵌り、さらには英米を相手に総力戦を戦うことを目指した背景に、スターリンのコミンテルンによる謀略があった、と三田村武夫氏は指摘するのだ。
 すなわち、ゾルゲを介して伝えられたコミンテルンの指示により尾崎秀実に代表されるような日本側の確信的工作員が政界にも軍部にもがっちり食い込んで、日本の進路を捻曲げ、まんまと敗戦へと導いたというのが三田村氏の所論である。
 軍部において「戦争指導計画書」に基づき実際に戦争を推進したのは戦時下の首相にもなった東條英機である。コミンテルンに利用され踊らされて、国運を誤らしめたという点では、近衛文麿も東條英機も同罪である。
● スターリン個人の資質は別にして、ソ連という人工実験国家の意味を考えるとき、われわれが世界権力と呼んでいる黒い貴族とユダヤ国際資本の連合体は日本解体を目指して対日謀略工作の手綱を依然緩めるどころか、敗戦を単なる一里塚として、ますます巧妙に破壊工作を繰り出し続けていると考えなければならない。米国議会がほとんど与り知らないというTPPへの加盟も、女性宮家の創設などの国体に対する揺さぶりも、日本の根幹を何としても破壊せんとする彼らの必死の表われと見なすべきである。彼らは日本をほとんど蝕み尽くし食い尽くしたと思うかもしれない。だが、われわれに信がある限り、日本は亡びない。(了)