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  正力松太郎と原発狂想曲 2 
       (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)5月1日第359号) 

●巻頭言連載という異例の型式を恒常化させてしまった本稿ではあるが、緊急に書き残しておかねばならない懸案も発生するので、その連載を中断するという異例のさらに異例なる事態も時に止むを得ない。とはいえ、福島原発事故に対し怒り心頭に発しながら中断させているのは面目ない次第である。前稿からすでに半年以上もの中断であったが、ここに再び、立ちもどることにする。
●有馬哲夫が『原発・正力・CIA』で指摘するように、日本への原発導入は正力松太郎という政治家の総理大臣への野望によって済し崩し的に加速化した事実は紛れもない。
 幸いにも正力は総理大臣に就くことはなかったが、それでも、日本に原発を入れるという役割を果すだけの影響力はもっていた。その影響力の一端が敗戦国日本を陰で操作していた米国CIAさらには世界権力の使嗾に甘んじることに由来したことは明らかである。
 ここで、もし柴田秀利と正力松太郎なかりせばと仮定してみても、やはり事態は絶望的で、そこに何らの光明も差しては来ない。柴田と正力がいなくても、第二第三の柴田・正力が登場したに違いないからである。だが、たとえそうであっても、国家の重大案件をその重大性を何ら顧慮することなく私物化し己れの政治的野望のために利用した、その奸佞(かんねい)と姑息とは特筆して断罪し、歴史に残さねばならない。正力の罪に比べれば、読売ジャイアンツを牛耳って横車を縦(ほしいまま)にし横綱審議会など至るところで顰蹙を買うナベツネの横暴さなどは、児戯に等しいと言うべきである。
●ここで思い出すのは、戦前に陸軍統制派が伝家の宝刀として重大な政治的局面で持ち出した「統帥権干犯」という国家の重大案件である。いまその経緯の詳細を語ることは省くが、この国家重大案件を党利党略のために政治的に利用する先鞭を付けたのが軍人でなくして鳩山一郎という一政治家であったことをわれわれは忘れるべきではない。
 角田儒郎『日本の宿痾──大東亜戦争敗因の研究』(文明地政学協会、平成二四年四月刊)はこのことをはっきりと指摘している(一五五頁)。公人にあるまじき奸佞の輩が国家の重大案件を事の重大さも弁えず己れの利益のために弄び利用するという近視眼的姑息さは、角田の口吻を籍りるまでもなく、まさに「日本の宿痾」と言うほかない。
●かかる近視眼的な姑息さがわれわれ日本人の「宿痾」とするならば、解決法はひとつしかない。すなわち、宿痾の病巣を徹底的に細胞検査して、病理の原因を突き止めるとともに、病巣そのものを剔抉(てっけつ)することである。このとき、病巣の蔓延次第では、体全体が損なわれ死に至ることもあり得るであろう。多大の犠牲を強いられることは必至である。宿痾を克服するのか、それとも宿痾に冒され日本民族が死滅するのか、すでにいま、病は膏肓に入るの段階に至っているのだ。
●そして同時に、厳に戒めるべきは、この宿痾なるものが、われわれ日本人自身が内にもつものではなくして、常に外からやって来るものに誘発されて発動するという点である。すなわち、日本人同士で罵り合ったり傷を舐め合ったりしても、てんで埒は明かないということだ。「宿痾」というからには、われわれ日本人の天性に巣くっているとも思われる宿痾ではあるが、それが日本人の内部に止まる限りは決定的に重大な事態には至らない。原因が外から来て、外に対処しなければならない時に致命的となるのだ。(つづく)