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 米国反共防壁戦略「マイクロ波通信網構想」 
                (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)6月1日第361号) 

●昭和二五年(一九五〇)六月五日、米国上院で一人の議員が「マイクロ波通信網構想」を発表した。議員の名前はカール・E・ムント(一九〇〇~七四)、サウスダコタ州選出の共和党の上院議員で、二年前までは下院議員を務めていた。

 ……私が該当地域(トルコ、日本、インドネシア、フィリピン)に提案している通信システムは、テレビを含む包括的なものであります。……適切なテレビ番組を持った通信システムは、国家の統合と発展を約束し、共産主義に対する効果的で強固な防壁を築くでしょう。
 大統領閣下、私はテレビというメディアを占領下の日本やドイツに設置することによって、どのようなことが可能になるかを考えずにはいられません。……これらの人々の哲学を議論やラジオ番組や印刷された本やパンフレットで変えるということは難しいことです。ですから、彼ら自身が目で見るように仕向けようではありませんか。……彼らに民主主義と、それがアメリカのなかでどのように機能しているかを見せようではありませんか。これとの比較によって、アジア型の専制政治と無神論的物質主義とを持った共産主義が彼らに何をもたらすのか見せようではありませんか。(有馬哲夫『日本テレビとCIA』宝島文庫版、八三~八四頁)

 ムントは戦時中は下院議員として非米活動委員会に属し、菅原啓一などの日系移民を収容所に送り込むために活動していたが、戦後は外交委員会に属して反共の闘士として活躍し、ラジオによる反共宣伝活動のために、VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)の存続を決定する法案(スミス・ムント法)を提出し、その成立を見るなどの功績があった。ラジオによる反共宣伝活動がソ連側の妨害によって支障を来してきた中で、それを今度はテレビを使って行なおうというのがムントの構想である。名付けて「ヴィジョン・オブ・アメリカ」と称した。
●ムントの演説からも分かるように、正力松太郎「マイクロ波通信網構想」はムントの「ヴィジョン・オブ・アメリカ」という構想をそのまま受け容れたものである。すなわち、日本テレビの設立は米国の世界戦略の一環だったのだ。公共放送であるNHKを使ったのでは余りに露骨すぎるし、NHKの職員に左翼が多いことも嫌われた理由の一つだったという。
 ソ連という共産主義の実験国家と、世界の警察をみずから任じる米国とを互いに競わせることをもって世界権力による世界支配の基本戦略とした冷戦構造下では、米国主導のGHQに占領されていたわが国が米国の世界戦略から外れることはできない相談だったのだ。反共という大義の下で、戦前に警視庁警務部長として辣腕を謳われた正力は格好の相手だったと思われる。正力の方でも、まずは公職追放を逃れるため米国のお墨付きを必要としていた。
 ムントは上院での「ヴィジョン・オブ・アメリカ」演説の五日後に占領軍総司令官マッカーサーに日本における計画の実施を訴えたが、マッカーサーが計画には反対しないが、外国人が日本で放送局をもつことは最近成立の電波法によりできないので、日本人自身が実行しなくてはならないと返答したこともあって、正力の存在が改めて見直されることになった。米国世界戦略の下で正力が自分の野望を果すというこの構図が、原発の日本導入に際しても繰返されることになるのである。