十二支族考 索引 

                      

 イスラエル十二支族考 8 アーリアン学説のペテン
        (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年6月15日第362号)


●偏頗だった人類文明史
 これまでの人類文明史はギリシア・ローマの後継者をもって自らに任ずる西洋白人社会による世界支配という意図的な枠組みの中で構成・編纂されてきた。そのギリシア・ローマに影響した先行文明としてはせいぜいエジプトとメソポタミアが視野に入っているだけである。インド文明や黄河・三星堆・長江文明、ましてわが縄文文明などは遙かな辺境の異文明で、人類文明史の本流にとって副次的であまり重要な意味を持たないと見なされてきた。
 その証拠に、教養ある白人にとってラテン語ができるということはいわば必須科目であって、支配階級たる貴族富豪層の子弟たちは、幼年学校の時期にラテン語を徹底的に叩き込まれる。ギリシア語は必須科目と言うほどでもないが、それでも会合などでホメロスの「イーリアス」の一節でも諳んじてみせれば、一挙に株が上がる。
 だが、珍重される「古典的教養」というものもそこまでで、さらにサンスクリット語(聖典ヴェーダやウパニシャッドに使われたインド古代語)に通じていようと、はたまたエジプトのヒエログリフが読めようと、好事家同士の仲間内は別にして一般的には、奇人変人の類いと見なされ、敬して遠ざけられるのが落ちである。
 西洋白人たちが自分の仲間内だけでそう信じるのは勝手である。どだい、「歴史認識を共有する」などということは無理な話であり、派閥抗争に明け暮れて疲れたときの窮余の一策くらいにしか役に立たない。それも、相手がおめでたい日本人の場合に限られる。それぞれの民族に固有の神話があるように、それぞれの国の歴史もまた固有のものであって然るべきなのだ。
 だが、自分たちの勝手な思い込みを「普遍性」を装って押しつけてくるとなると話は別だ。「ちょっと待て!」と言わなければならない。
 かつて幼児期より心に空洞を抱え、人とは何か、時間とは何か、数とは何か、延長とは何か、空間とは何か、などという益体もない疑問に悩まされて生活の悩みや人情の機微に疎かった私はやがてインド哲学に傾斜していった一時期があり、人間が外界を認識するにさいしての仕組みや陥穽について、教えられることが多かった。その後、「往きて還る」という貴重な体験を経て、日常に繰返されるこまごまとした雑事の中にこそ人として生まれた大切な意味があると思い定めてからは豁然と心も晴れ、ノー天気と横着と怠惰を極めている。
 そういうわけで、世間では無用かも知れないが、インド学については一方ならぬ思いがあるのだが、その日本におけるインド学は実は英国東印度会社がサンスクリット学者として知られた若きドイツ人碩学マックス・ミュラー(一八二三~一九〇〇)を高給で英国学士院たる王立協会に招聘して築き上げたものであることを、私はまったく知らなかった。蒙を啓いてくれたのは畏友林廣がある日ポンと買って与えてくれた一冊の本だった。津田元一郎の書いた『アーリアンとは何か――その虚構と真実』(人文書院、平成二年)である。
 津田は「はじめに」でこう述べる。

 今日、「学問」と称されているものは、西欧社会をモデルとし、西洋人の頭と西洋人のメンタリティーで構築されたものである。
 そこからは、いきおい、西洋中心主義・西洋我田引水の理論が生まれてくる。
 とくに、わが国の社会科学や人文科学が依拠してきた学説は、多く、一九世紀から二〇世紀にかけての西欧帝国主義時代に、西欧が自己主張・自己顕示のために提示した理論を基調としたものである。

 その西洋中心主義・西洋我田引水的理論の最たるものがインド学の中心理論となった「アーリアン学説」という言語・人種理論であった。

 アーリアン学説は、歴史上の偉大な進歩は、常に、白人であるアーリアン人種によって成しとげられてきたという学説であり、この学説は、西洋人の人種的優越を印象づける上に恰好の理論として、植民地主義時代に世界を風靡してきた。この学説が白人には優越選民意識を、有色人種には劣等民族意識を植えつける上に果してきた役割は、まことに巨大であった。(同書一頁)

 明治維新以来、近代国家の国作りに常に西洋を模範に仰いできたわが国はなんの疑問もなく無批判に無抵抗に、このアーリア学説を受け容れてきた。そして今日では、骨身骨髄に浸みて、もっとも厄介な先入見になり果て常識と化してしまったので、これがとんでもない偏見だとは誰も思いもしない。「さすがアーリアン人種たる白人は体格もよく、容貌も立派で威風堂々としている」という先入見にほとんどの日本人が冒されているのだ。
 一例を挙げる。「文明の生態史観」を唱え、国立民族学博物館の館長まで務めた梅棹忠夫は、戦前にモンゴルの張家口にあった蒙古善隣協会経営の西北研究所(所長今西錦司)でモンゴル牧畜社会について実地調査(フィールドワーク)を行ない、大アジア主義のための基礎研究の一翼を担ったはずの人物であるが、その彼にして戦後アフガニスタンに行った時の紀行文である(『アフガニスタンの旅』岩波写真文庫二〇二、昭和三一年)の中で、

 この国は、民族構成の複雑な国だ。いちばん数も多いし勢力のあるのは、パシュトゥーン族だ。王様もそうだし、政府の高官も大ていこの民族だ。商人も農民も遊牧民もある。体格も堂々として顔つきも立派である。……
 ヘラート方面および山岳地帯に転々とタジーク族というのがいる。……この二つは・インド・アーリア系である。(津田同書より孫引、一六〇~一六一頁)

と述べ、「インド・アーリア系は体格も堂々として顔つきも立派」だとして、まったく無自覚にアーリアン学説に冒されてしまっている。
 さて、一八四八年二五歳にしてロンドンに招かれたマックス・ミュラーは一〇年後の一九五九年から六一年にかけて王立協会において講義を行ない、「アーリアン学説」を唱え始める。それまで言語学的に類似性があることからインド・ゲルマン語族またはインド・ヨーロッパ語族と呼ばれてきたものを、「アーリアン」と呼び換えるべきだ、なぜならインドに侵入したサンスクリットを話す人々は自らをアーリアンと呼んでいたからだ、と説いたのである。
 一見大した違いはなさそうに聞こえるかも知れないが、ここにこそ革命的な一大飛躍が潜んでいる。
「インド・ゲルマン」または「インド・ヨーロッパ」と呼んでいる限りでは、ただ単なる言語グループの分類に過ぎなかったのだが、マックス・ミュラーは、その言語を話す人々が「アーリアン」という一つの人種であると主張しているからである。

 リグ・ヴェーダを研究し、そこに「アーリア」というひびきのよい呼称で呼ばれている集団があり、その集団が、原住民を征服して、古代インド文化を創造した、と解釈したマックス・ミュラーは、その「アーリア人」こそヨーロッパ人、ペルシア人、インド人の共通した祖先である、と主張した。(三五~三六頁)

 何とも見事に、東印度会社の要請に応えたものである! 
 インド人も英国人も聖なる民族たるアーリアンなのである。いずれも天性の支配民族である。
 こうなれば、英国人とインド人支配層は祖先を同じくする兄弟民族である。英国のインド植民地支配も、インド人支配層がおよそ三〇〇〇年前の紀元前一〇〇〇年ころにやったのと同じことを、英国人が遅れて来てやっているにすぎない、ということになる。
 私はヴェネツィアによるイエズス会の創出とカルヴィン派・ルター派新教の創出とをもって謀略の最たるものの内に数えているが、英国東印度会社による「アーリアン学説」の創造もまた、まさに謀略の鑑とも為すべき、優れたペテンと感心するものである。謀略というからに、かくも遠大な構想をもたなければなるまい。さすがは世界権力ヴェネツィアの後裔ヴェネツィア党を自認する英国支配階級ならではのことはある。
 とはいうものの、他人のペテンに感心してばかりではいられない。まして、わが同胞のほとんどがこのペテンにコロリとやられて、病膏肓に入るの危篤状態にあるという状況では、しっかりしなければならない。
 わが国におけるインド学の先駆者として南条文雄(なんじようぶんゆう)と笠原研寿(かさはらけんじゆ)の二人を挙げることに異論はなかろう。ともに真宗大谷派(東本願寺)の学僧であり、明治九年に揃って渡英して、マックス・ミュラーに師事し、王立協会流のインド学・仏教学の薫陶を受けた。遅れること四半世紀、二四年後の明治三三年には真宗東本願寺派の高楠順次郎がロンドンに留学し、晩年のマックス・ミュラーに師事する。
 笠原研寿は肺疾により三一歳で早世したために世に知られるほどの業績を残さなかったが、ミュラーにとっては愛弟子だったようだ。一八八三年九月二五日付ロンドンタイムスにわざわざ真情あふるる追悼文を寄せて哀惜している。
 南条文雄は漢訳仏典英訳や梵語仏典と漢訳仏典の対校などの学問的業績の他に、真宗大学(現大谷大学)学監を務めるなど宗門にも貢献した。
 南条が蒔いた種に花を咲かせ実を採り、その木までも伐って事業にしたのが高楠順次郎である。多くの後進を育て、私が教えを受けた中村元東大教授はその孫弟子世代に当たる。ミュラー自身は高楠渡英前の一八八八年以降はアーリアン学説を反省したにも拘わらず、この僻説は現在に至るも依然としてわが国のインド学・仏教学を歪め続けている。
 前号に挙げて紹介した栗本慎一郎の最近の労作『ゆがんだ地球文明の歴史』は、この「アーリアン学説」から脱した希有の画期的な業績であると私は高く評価する。なぜなら、この本はこれまで普遍性を装って世界の人々に押しつけられてきた人類文明史なるものが、実は、西洋白人から見た「ゆがんだ」歴史観であり、邪悪なる意図を秘めた謀略であることを、ミヌシンスク文明という具体例を挙げて見事に証明して見せてくれたからである。
 この本が一般にはまだ耳慣れない「地球文明」という表題を掲げているのも、これからの文明史が地球に住むすべての人々にとって偏頗のない公平なものでなければならないという氏の決意が込められているからであろう。
 その栗本慎一郎の決意に私は心から賛同する。そしてまた、拙いわが探求も、偏頗なき公平なものでありたいと願うものである。(つづく)