みょうがの旅    索引 

                      

  正力松太郎という男 
   (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)6月15日第362号) 

●世界権力が米国の国家戦略を装って発動した世界支配戦略が「冷戦」なる東西対立構造であるが、その一環たる「マイクロ波通信網」と「原子力発電」の二つともを、なぜ日本において正力松太郎という男に託したのか、その理由について釈然としない部分がある。ふつうそれは大衆を洗脳する利器である新聞をもっていたからだと説明されるが、ではそもそも警察官僚であった正力がなにゆえに新聞を支配することになったのか。
 その一つのヒントが、大正一二年の一二月二七日に起きた虎ノ門事件にあるのではないかと思われる。虎ノ門事件とは関東大震災後の世情不安定な時期に発生した、大逆罪の大事件であった。自動車で貴族院に向かわれる途中だった皇太子・摂政宮裕仁親王を社会主義者難波大介が狙撃して、宮は無事だったが同乗の侍従が軽傷を負ったという事件である。
●正力は二年前の大正一〇年に警視庁官房主事に任ぜられ、また正六位にも叙せられていた。正六位といえば、遙か昔ならば天皇の前に昇殿を許される殿上人の位である。富山の土建業の次男が高等文官試験に合格したとはいえ、めざましい出世と言わなければなるまい。関東大震災に際して、「朝鮮人の暴動がある」との噂を組織的に流したとの疑惑がある。そのために甘粕正彦による大杉栄・伊藤野枝虐殺事件や亀戸事件、各地自警団による虐殺事件が発生して、後に反省する羽目に陥る。
 だが、甘粕が大杉・伊藤事件を機に投獄の憂き目を経たとはいえ、後には裏社会の大物になるように、正力も関東大震災時の行動によって決してその経歴に傷が付いたのではないように思われる。
●正力は虎ノ門事件のとき、警視庁警務部長として警備の責任を負う立場にあった。このため、事件発生によって翌大正一三年一月に懲戒免官となる。だが、直後に摂政宮裕仁親王御婚礼により恩赦となる。そしてその直後に、讀賣新聞の経営権を買収して社長になるのである。
 買収資金は後藤新平が出したとも、後藤と河合良成が番町会の郷誠之助に頼んで資金集めをしたとも言われている。「番町会」とは何か。郷誠之助は東京株式取引所理事長、日本経済連盟会会長、日本商工会議所会頭などを務めた財界の重鎮で、父は大蔵次官にまで上った後に勅撰貴族院議員になった郷純造である。郷誠之助が主催した「番町会」は若手経済人の勉強会と言われたが、八歳年長の後藤新平がその顧問的な立場にあった。誠之助は純造の三男であるが、四男の昌作は生後まもなく三菱財閥の岩崎弥太郎に養子入りして岩崎豊弥と名乗る。
 誠之助はドイツのハイデルベルク大学に留学した洋行帰りだが、東京株式取引所理事長に任じたその経歴に見るように、日本における「市場原理主義」の旗振りであった。
 つまり、正力は番長会を通してわが国の財界本流、そして世界の市場原理主義者たちと繋がったのである。そして戦後になると、郷誠之助や後藤新平のようなコスモポリタンの後ろ楯を背景に、CIAのプロファイリングにも適って、世界戦略の日本側執行人として選ばれることになるのである。
 日本における原発推進者正力松太郎は突然に出現したものではない。彼の背後には、歴々たる先輩たちがパトロンとして隠れていたことを知らなければならない。