十二支族考 索引 

                      

 イスラエル十二支族考 10 対ペリシテ人最終決戦
        (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年7月15日第364号)


●神の約束の本当の意味
 ペリシテ人とイスラエルらの戦争において、ペリシテ側はエジプト帝国の代理人としてカナンの軍事的な要衝のすべてを抑え、そこから出撃して戦闘を行ない、イスラエルらを次第に追いつめていった。
 それに対してイスラエルはいまだ国も町も砦も持たないまま、ペリシテ人と戦っていた。つまり、軍事的拠点のない、いわばゲリラ戦を行なっていたのである。
 エジプトからカナンの地へと強制追放されて寄る辺ない日々、いまだ町も国も持たず、どこへ行っても単なる「寄留者」であったときの民族の記憶は、その後のユダヤ民族を永劫に支配するトラウマとなった。栄光の王ダヴィデでさえこの民族のトラウマから逃れられなかった。
ダヴィデによって初めてイスラエルは確固たる王国を築いたとその伝承は語っているが、高齢に及んだダヴィデがわが子ソロモンへと王位を譲ることを決意し、その即位式を自ら主宰したとき、ダヴィデが神に次のように訴えたと『歴代志上』の末尾に書かれている。

 ……わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで長くとどまることはできません。(同書第29章14~15節)

 自らの生涯の終わりに際して語ったとされているこのダヴィデの言葉はなかなか意味が深い。われわれ日本人なら、人生の儚さを嘆いたものだと早合点するかも知れない。だが、それは早計にすぎよう。生まれた時から自分の国土に住み自ら耕して大地の恵みを受けて暮らすことのできる安定した境涯にあるわれわれ日本人とは、およそ異なる境涯にイスラエルたちはいたのである。
 ダヴィデは言う。「すべての物はあなたから出ます」と。敬虔な信仰ある者の感謝の言葉のように聞こえるかも知れない。だが、本当にそうだろうか。神を持ち出さなければ、すべての物はわたしに与えられないことを、このように表現しただけではないのか。神が与えるという、ただそれだけの根拠しかない論理、それが約束の地カナンにおけるイスラエルたちの大義だった。すなわち、盗み奪って自らの物とせよというのが、神の約束の本当の意味である。
 神が「与える」と約束すれば、それは準備万端整って何の問題もなく手に入る、と思うのは日本人の浅はかさというものである。
 そもそも、「神が与える」とはいかなることか、神はモーセに具体的に説明している。

 イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならない。またあなたがたはその地の民を追い払って、そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである。(民数記第33章51~53節)

 カナンの地はイスラエルに対して、神の約束によって与えられた。だが、神がカナンの地をイスラエルに与えたということの実態とは、こういうことであったのだ。すなわち、そこにはすでにモアブ人やアンモン人やアモリ人などの他の民族が住んでいた。それを、神はイスラエルに与えると言う。奪え、盗め、と言っているのである。
 他人がすでに所有している物を、「あれをあなたに与えるから奪い取りなさい。わたしがあなたの物として与えるのだから」と言われたからといって、ハイそうですかと素直に聞くわけにはいかない。なぜなら、すでにそれを持っている人の立場はどうなるのか、が問題になるからである。
 ふつう、こういう事態を「与える」とか「約束する」などと、われわれの言葉では言わないのだ。
 極端にいえば、ここにユダヤ問題の本質が横たわっている、と私は思う。ユダヤ人が「神の約束」を持ち出したとしても、実態が如上のものだとするならば、約束はユダヤ人以外の人々にとっては何の説得性も有効性も客観性も持たない。それはユダヤ人の一方的な強弁と言わざるをえない。はっきりいえば、ユダヤ人の言う「神の約束」とは、勝手にデッチあげた空証文のようなものである。
 こういう約束を平気でするユダヤ人の神とはいったい何か? もしも神を持ち出すならば、神とは万人に平等でなければならない。もしも日本人にのみ依怙贔屓する神があったとすれば、日本人なら神とは認めない。それは邪霊邪鬼の類であって、およそ神などではあり得ないとするのが日本人の道義なのである。神とは普遍性そのもの謂であって、党派性のある神など神ではありえない。
 こういう空証文を平気で与える神を信じるほかなかったユダヤ人こそ哀れである。自ら王国を築いたといわれる栄光の王ダヴィデさえ、「われわれは旅びとであり、寄留者です」と慨嘆せざるを得なかったのは、ユダヤ伝承が編纂された捕囚地バビロンでの書記たちの寄る辺なき境涯がもちろん反映されているのであろうが、「イスラエルの民は旅びと、寄留者」だという、民族の記憶に染みついた歴史事実がすでにあったからである。それはエジプトから追放され、実体のない神の約束を信じカナンの地に入ったイスラエルの民を当然にも待ち受けていた宿命であった。
 ユダヤ人自身が理不尽かつ無慈悲な神ヤハウェの謎を解くのには、およそ三〇〇〇年の歳月がかかった。その神とはアテン一神教の聖都アケトアテンからイスラエルを国外追放処分としたエジプト新王国第一八王朝の第一三代のファラオだったアイ(在位紀前一三三一~二六)である(詳しくは拙著『憎悪の呪縛』参照)。神ヤハウェとユダヤ民族の誕生の謎の解明に挑んだラビのサバ兄弟に私は深甚の敬意を捧げる。

●殲滅されるイスラエルの拠点
 片や傭兵部隊とはいえエジプト帝国の正規軍、片やカナンに追放された一神教徒の国際的混成民族とあっては、勝敗の帰趨は自ずと明らかであった。軍事要塞を持たずゲリラ攻撃に頼るしかないイスラエルではあったが、それでも山岳部には生活拠点と宗教の聖所が置かれていた場所があった。ついにペリシテ人部隊がそこへ侵攻してくる事態がやってくる。
 ユダヤ伝承では繰り返しペリシテ人の「守備隊」と表現されているが、五都市連合(ペンテポリス)のペリシテ人「守備隊」は単に防衛にのみ徹してしていたわけではない。
 海岸地帯のいわゆるペリシテ五都市すなわちガザ、アシュケロン、アシドド、ガト、エクロンから発した部隊が次第に東方へ山岳部へ、そして北方へも侵攻していった様子を先に引用した『ユダヤ古代史』は次のように描いている。

 カナンに植民したペリシテ人とその他の海洋民族は、海岸地方から東方へ向かって広がった。この過程は、人口増加と新移民の流入によって加速された。この動きが種々の方向をとったことは、考古学的発見、特に典型的なペリシテ陶器が前一二世紀から一一世紀にかけてかなり豊富に発見されることから推定することが出来る。シュフェラから丘陵地帯へ向かう途上にある二ヶ所の重要な分岐点──ゲゼルとベトシュメンで、大量のペリシテ陶器が発掘された。テル・エッシャリア、テル・マソスなど、ネゲブの北方辺境の地点、ベエルシェバの西と東、海の道(ヴィア・マリス)沿いにアフェク(ロシュ・ハアイン)、メギド、アフラなどの各地で、量に差はあるが、ペリシテ陶器が出土した。最近、北のダンにおいてもペリシテ陶器が発掘されたことは非常に興味深いが、このような遠隔の地まで広がったペリシテ陶器は、実際の定住というよりは、商業活動を表わしているのであろう。もう一つの驚くべき最近の発見は、ペリシテ型の壺が、東ヨルダンのテル・デイルアラ(多分、古代のコスト)から出土したことで、これは、海洋民族の影響がこの遠隔の地まで及んでいたことを示す。この場所のそれよりやや古い層から、文字を刻んだ粘土板が発見された。未だに解読されていないが、それはミノア線文字とやや類似しており、もう一つのエーゲ起源を示唆する材料と見なされる。ここでも間違いなく海洋民族はエジプト支配の後を追って出現したのである。(同書一四七~一四八頁)

 著者はカナン各地に残るペリシテ陶器の出土をもってペリシテ人の進出を語っているのだが、「実際の定住というよりは、商業活動を表わしているのだろう」としながらも、最後にはそれがエジプトの支配を継承した軍事侵攻の結果であることを認めている。
 ここに上げられた地名の中で特に、アフェクは重要だ。なぜなら、そこはイスラエルが主に出撃の拠点としていたエフライム山岳地帯から海岸平野への西側出口を扼す要衝だったからである。ここを抑えられると、イスラエルは山岳地帯に完全に閉じ込められ、略奪のため出撃することができなくなる。事実、ペリシテ人部隊はこのアフェクに布陣して山岳地帯に拠るイスラエルに対し最終決戦を仕掛けた。

 イスラエル人とペリシテ人の間の闘争の決定的瞬間は、前一一世紀中葉にエベンエゼルとアフェクにおいて行なわれた戦いで起こった。この時に、それまで中央丘陵地帯で独立を保っていたヨセフの家の部族が戦って敗れた(サムエル記上4章)。この戦いにおいてペリシテ人が狙った真の目標は、彼らがエフライム山地の西の入口、アフェク(テル・ロシュ・ハアイン)を集合点として選んだことから明白となる。ペリシテ人に対し、エベンエゼル(ミグダル・ツェデク近郊)に布陣したイスラエル人は、丘陵地帯の心臓部に敵が前出するのを阻止しようとしたが、完全に撃破され、彼らの中心シロは破壊された。(同書一四九~一五〇頁)

 右の「それまで独立を保っていた」という表現から、「ヨセフの家」以外の部族はすでにペリシテ人の軍門に降っていたことが分かる。イスラエルは軍事要塞に城を構えてペリシテ人に対峙していたわけではないから、個別に撃破されていったのである。
 さらに注目すべきは、「彼らの中心シロは破壊された」と言っていることだ。シロには聖所が設けられ、そこにモーセを通してイスラエルが神ヤハウェと契約したという二枚の石版を入れた、いわゆる「契約の箱」(アーク)が安置されていた。(つづく)