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 ツラン源郷への日本民族大移住計画 3 
         (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)8月1日第365号) 

●「満洲こそ日本の生命線だ」とする国民的大合唱が鳴り響く最中の戦前にあって、それはまだ不徹底であると、さらに広大な地域への日本民族大移住計画をぶち上げたのが野副重次だった。では、日本人移住先としてどこを野副は具体的に考えていたのだろうか。

 ……我が生命線はチツポケな満洲なぞには存在しない。それは僅かに第三次的意味しかないのである。實に我が眞の生命線は、ウラルの山脈を南北に走るあの一線なのだ。而して、エニセイより西北蒙古のアルタイ山脈、新疆國境を經て、遠く南、パミール高原に走るあの大高地の西縁こそ、我が第二次生命線である。そして第三次の生命線が、満洲國の興安嶺である。(『ツラン民族運動と日本の新使命』第八章「汎ツラニズム政策論」二五八頁)

 何と野副は、ウラル山脈以東のあの草原地帯の全地域を日本民族移住先として考えていたのだ。そこには当時のソ連の東方領土の大部分と蒙古も含まれる。もちろん、そこを自国の領土とするソ連や、清帝国の最大版図を以て自国領とすることを狙う支那国民政府が、「さあ、どうぞ」と提供するはずもない。当然ながら、何を莫迦なことをと峻拒するであろう。あくまで移住計画を進めれば、戦争になるのは必至である。それを野副は、日本にとって「絶対的不可避の宿命だ」と言ってのけるのだ。
●暴論というならば、これほどの暴論はあるまい。だが、聊かなりとも歴史に学ぶ姿勢をもつならば、「南進論」を採って米国との戦争にのめり込んでいった大東亜戦争の顛末を踏まえると、野副の大風呂敷はまさに「北進論」の最たるものというべきである。もしも日本がルーズヴェルトとコミンテルンを使嗾した世界権力の意向を読み切っていたとすれば、彼らの意図する南方への転戦は絶対に採らなかったはずである。日本が明治以来の国是としてきたのも対露警戒と対露防衛だったはずである。その国是がひん曲がったのは、二・二六事件以来の軍部の方針転換であり、そうさせたのはユダヤ人ベン・アミ・シローニーが豪語したように、「私たち」(ユダヤ人)だったとしても、強ち暴論ではない。
●すなわち、敗戦から今日に至る日本の惨状を招いた最大の癌は「南進論」にこそあったのである。日本の国是たる「北進論」を踏まえ、それをさらに伸展した野副の「ツラン源郷日本民族大移住計画」が単なる大風呂敷だと言って片づけられない所以もここにある。
 さらに、野副が日本民族の移住先として目を付けた地域が現状(当時)でソ連の領土に属するといっても、それは一時的にそうなっているだけで元々は突厥や蒙古などツラン諸民族が庭として割拠してきた歴史の方が遙かに長いのである。対ソ戦を「絶対的不可避の宿命」だと見なす野副は、そのための対策として、ソ連領内に住むツラン諸民族との連帯を説く。それはまた日露戦争以来の日本軍諜報活動の王道とも言うべき路線だったことが歴史的に明らかなのである。そして、対支対決の争点が青海地方にあったことも事実である。「南進論が不可避の宿命」という蒙昧から今こそ醒める時だ。