みょうがの旅    索引 

                      

  霊能者皆本幹雄の霊言 1 
   (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)9月15日発行第367号) 

●「お金の本質」を本誌で連載している安西正鷹が「お金には人々の執念や怨念がべったり纏わりついているのです。それを祓うには、神社に参ってお賽銭として捧げるしかありません。一〇円や一〇〇円ではダメです。そのときに少し痛いくらいの額を上げるのです。あのユダヤ人ですら収入の一〇分の一を喜捨しているのですよ」と言い始めたのは、ここ最近になってからである。何か訳は分からないが、すとんと納得した。それからは神社にお参りすると、必ず主祭神を祀ってある本殿の賽銭箱にお札を納めるように心がけている。摂社末社のすべてにお札を捧げたのではその日暮らしの貧乏生活がたちまち破綻することになるので、さすがに硬貨で勘弁してもらっているが、お金はむやみに貯めるのではなく、なるべく神様にお返しすることが良いとの思いをますます強めている。
●やがて安西が二冊の本をもってきて置いていった。皆本幹雄『霊は生きている』と『悪霊から身を守る方法』(共に成甲書房、平成一四年刊)である。実は、お賽銭奨励は皆本幹雄氏の説だという。多大なるご厚意を忝なくしている成甲書房から出た本でもあるので、さっそく読んでみた。私などに霊界や幽界について云々する造詣も資格も無いことは重々承知しているが、なぜか「内容に間違ったことは一つもない」という、少々高慢ちきな感想をもった。死んだらどうなるかは、誰しも気になるところである。皆本幹雄氏は、死んでも死んだと気づかない人も多く、生きている時よりもっと厳しくなる、という。肉体をもった生身の人間として生きていることは、限りない可能性と自由に恵まれていることで、それは魂を磨くための絶好の機会なのだ、とも皆本氏は説くのだが、まさにその通りだと私も思う。
●日ごろは温和しく良い子である少年が、身の毛もよだつような残虐非道の殺人を平然として犯すようになって、すでに久しい。酒鬼薔薇聖斗という名前を忘れかけた人も知らない人もいるだろう。確たる動機もなく残虐な殺人を平然と犯す少年が育った家庭環境や成長過程を識者がいくら分析してみても、納得できる説明は見つからない。狙われやすい脆弱な魂が邪霊・悪霊の類に取り憑かれ使嗾された結果だと考えた方がむしろすっきりすると思っているのは、私だけではあるまい。
 皆本氏の本には、せっかく肉体をもって生まれながら、邪霊凶霊に取り憑かれて扱き使われ、命をすり減らす人の例がたくさん出てくる。
●そして、そうならないための対策も説かれている。悪意をもって人間の生身を狙っている邪霊に取り憑かれるのは、元はといえば本人に隙があるからである。その隙を狙われるのだ。では、隙とは何か。一言でいえば、黒い想念とでも言おうか執念と言おうか、嫉妬や嫉み、怒りや憎しみの念である。そういう黒い想念を抱いている人こそ、邪霊悪霊には恰好の餌食である。
 皆本氏は成り行き任せのノー天気で日々を暮らすのがよいと言っている。心に屈託なく、明るく朗らかに心を保つのが、悪霊に隙を与えないための、最大の防御策だと言うのだ。そして、出来るだけ、世のため人のためになることをする。ここまで読んで、これはまさに、飯山一郎氏の生き方ではないかと私は思った。東奔西走、世のため人のために明るく朗らかに駆け廻って笑い飛ばす飯山さんには、悪霊が取り憑こうとしても一分の隙もない。