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 霊能者皆本幹雄の霊言 3 
   (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)10月15日第369号) 

●『皆本幹雄の天からのメッセージ』の中では、皆本氏が天孫民族のことだとする「ヤン族」についてさらに次のように書かれている。

 現在は天照大神と日本一の大御神と崇敬されているこの天孫民族が、ヒマラヤ山脈の麓からインドを経てインドの沿岸にズリ落ちて、船を仕立てて南洋群島を巡りめぐって最後に日本にやってきた。太平洋の黒潮に乗って、潮の流れのままにたどり着いたのが今の伊雑宮さんの付近なのです。少し歩きますと海岸がありますが、そこにたどり着いたのです。この場所がいちばん良いという意味で「いぞう」と呼んだのでしょう。

 皆本氏の説は仮に名づけるならば、「天孫民族ヒマラヤ起源説」でも呼ぶべき珍説奇説であるが、およそ管窺(かんき)の及ぶところ、類説を知らない。ただ、この天孫民族日本来航が二千数百年前だとする点で、稲作が弥生時代と共に始まったという一昔前の旧説に基づいていることは明らかだ。もっとも、皆本氏はこのことを明言しているわけではなく、暗黙の前提として話をしているだけであるが……。
 霊言であるから、歴史的事実を以て反論してみても所詮は次元の違う話であって、あまり意味がない。しかし、歴史に触れている限りは、その真偽を問うことはできる。霊言がそれを受ける側の見識によって千変万化することは常のことだが、「天孫民族ヒマラヤ起源説」は何だか軽い。一顧だに価しないとは言わないが、そういう奇説もあるのか、と思うだけである。
●倭姫命による神宮鎮座についても、続いてこう述べている。

 結局、ここが天孫民族の始まりである、という歴史上の確固たる事実があります。ここから始まって近畿地方の五〇ヵ所をおよそ一二〇~一三〇年間かけて巡って、また伊雑宮に戻った。そして最後にどこが一番よいということで、今の五十鈴川、いわゆる内宮さん、外宮さんがあるところを本拠となさったということです。伊雑宮から始まって京都府の北の日本海の天橋立付(あまのはしだて)近まで転々と足を延ばして行かれた。そしてちょうど五〇ヵ所めが内宮さん外宮さんの付近になります。
 なぜそういうことを、一二〇~一三〇年もかけておやりになったかというと、全部で五〇ヵ所、ここから始まって大阪の端、奈良県、京都、滋賀県、和歌山、三重県と、このあたりの地域を一つの大きな輪を作った形で、いわゆる結界といい、防御するありとあらゆるパワーを各所に鎮めてもう一度伊雑宮に戻ったということです。大きな防禦をする地域が五〇ヵ所の結界の中であるということです。

『古事記』に登場せず『日本書紀』でわずかに触れられているだけの神宮鎮座次第が詳しく語られているのは、『倭姫命世紀』という神道五部書の一つの中である。そこでは二五ヶ所の地を経巡った後に、五十鈴川のほとりの現在地に鎮座されたことが記される。
 伊勢に鎮座されるまでの一時的鎮座地は「元伊勢」と呼ばれているが、それが結界を張ることであったとするのは、皆本氏の(霊言の)独創である。元伊勢が五〇ヶ所であったというのも、他には見ない。数はともかく、「結界」だったという説には納得するものがある。この結界を出て東京に天皇が移られてから、わが国には重みがなくなったという皆本氏の見解は、奈良・吉野への「還都」を願うわれわれの思いと奇妙にも一致するからである。