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  日本語テュルク語同源説 2 
     (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)12月1日第372号) 

●東巌夫(ひがしいわお)さんの神田雑学大学の講義録(kanda-zatsugaku.com/100205/0205.html)によれば、中学校の定年退職を目前にして突然耳が聞こえなくなったという。「突発性難聴」という病気で入院して治療を受けたが効果なく、返って悪化したほかに、歩行まで不自由となってしまった。リハビリのために鶴見川の土手を歩きながら、騎馬民族と日本の言葉の関係を調べようと決意を固めたと述べている。いわば逆境の底で不屈の決意を固くしたのだ。こういう話を聞くと、われわれはともすれば自分だけが不遇に見舞われていると思いがちだが、不遇は誰にでも襲いかかるもので、不遇にめげないで何かを貫くことこそが大切なのだと気づかされる。
 その時からおよそ四半世紀経って、東巌夫さんは研鑽と研究の成果を世に問うた。それが『騎馬民族がもたらした日本のことば』である。
●この本で東さんは画期的な研究成果を数々明らかにされているが、まず私が瞠目したのは、なぜそういう表現を使うのか誰も解明していない擬態語のなかに、テュルク語起源の言葉が沢山あるという点である。
 ともかく例を挙げよう。われわれは「眠る」ことを言うときに、どのように眠るかも表現したい場合には、「うとうと」や「うつらうつら」など擬態語を付加してより精確に言おうとする。では、「うとうと」「うつらうつら」はどういう語源から来て、どういう意味をもっているのか聞かれると困ってしまう。余りにも当たり前すぎて、誰もこれまで問題にすらしてこなかった。それを東さんが明らかにしてくれたのである。
 東さんによれば、「うとうと」の語源は古代テュルク語で「眠る」を意味する「udï-」であるという。現代では使われないが、一三世紀以前に使われた。例えば、「tün udïmati」(夜も眠らなかった)、「udïma-odun」(眠らないで目を覚ましなさい)など多くの用例が「トニュクーク碑」には登場する。
「トニュクーク碑」とは八世紀の初頭(日本で古事記と日本書紀が完成したころ)に建てられたトニュクーク将軍を顕彰する記念碑で、古代テュルク族独自の文字(オルホン・エニセー文字または突厥ルーン文字とも)で記され、モンゴルの首都ウランバートルの南方六六キロのバイン・ツォクト遺跡(現トゥブ県ナライハ市)にある。
 トニュクーク将軍は第二東突厥帝国の建国に際し、イルティリシュカガン=阿史那骨咄禄(アシナクトゥルグ)(在位六八二~九〇)の下で最高顧問および軍司令官の任を果たした英雄で、支那資料には阿史徳(あしとく)元珍(げんちん)または暾欲谷(とんよくこく)と表記される。
●そういう歴とした史料に、日本語の「うとうと」の語源となった言葉が登場する、と東巌夫さんは言うのだ。
「udï-」の「ï」の音は喉の奥で発する「イ」で、現代の発音にはない。古代テュルク語の「udï-」が日本語で「uto」に転化、それが繰り返されて「うとうと」が生まれたのだという。
 同じ語を繰り返すことはテュルク系諸言語にもあり、「uxli-」(ウッフリ)が繰り返しの形になると「uxla-uxla」(ウッフラ‐ウッフラ)となるのだが、これが日本語の「うつらうつら」と同じ語源に由来する、と東さんは言うのである(以上二四一~二四八頁)。
 詳細な考証の全貌はとても本欄ではお伝えできないので、要点を紹介するだけに止めたが、今後確立されるべき「日本語テュルク語同源説」の基礎となる画期的業績だと思われる。