みょうがの旅    索引 

                      

 落合莞爾『明治維新の極秘計画』の慶喜公観 
                (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)12月15日第373号) 

●従来の通説において、惰弱怯懦の人として貶められてきた徳川一五代将軍徳川慶喜公の顕彰を落合莞爾氏の新著『明治維新の極秘計画──「堀川政略」とウラ天皇』(成甲書房、平成二四年一二月五日刊)がみごとに果している。

 一身を以て幕藩体制を終わらせ日本近代化に決定的役割を果した慶喜公に関する尊称の省略は心苦しく感じますが、文中では史筆の常道に従い、原則として省略いたします。

と断った上で、落合氏は次のように書いている。

 しかし慶喜は、これを自ら本来の運命と受け取り、戊辰戦争では怯懦を装い敢えて無為に徹し、幕藩体制の大リストラを間接的に敢行しました。戊辰戦争では多少の犠牲を伴いましたが、いかなる革命においても不可避とされる階級抗争による大流血と、それに付けこむ外国の内政介入を防いだことは、家康の元和偃武(天下の平定)と並ぶ日本史上最大の偉業であることは論を俟ちません。しかも、渋沢と同じく吾人をして感動せしめるのは、敢えて天下の不評を一手に引き受けながら、この世を去るまでその心情を一切洩らさなかった人格の高潔さであります。慶喜こそ正に、出るべくして世に出てきた運命の英傑であります。(一二一頁)

 慶喜公に対するこの顕彰には、私もまた満腔の賛意を感ずるものである。詳細に通じているわけではないが、渋沢栄一翁とその孫敬三さん、曾孫寿一さんら末裔歴代の出処進退を聞き知るにつけても、慶喜公に仕えた栄一翁とその遺訓のようなものを薄々と感じていたが、それが慶喜公の生き方を範として従うものであったことを、落合氏の著書によって間違いないと確信した。家臣とその子孫に対してとはいえ、維新後における慶喜公の影響がこれほどであるとすれば、徳川慶喜公が「惰弱怯懦」の人であったはずがないのだ。
●わが国を「この国」と呼ぶ悪弊を蔓延させる元凶となった司馬遼太郎の文章を私は一篇も読まない。NHKテレビの番組『街道を行く』に本人が登場して喋っているのを町の食堂で見たのがその考えに触れた最初で最後である。その司馬遼太郎の慶喜公観を知るために、不本意ながら『最後の将軍』(文春文庫)を購入して読んでみた。
 司馬遼太郎は松平春嶽に慶喜公について

 つまるところ、あの人には百の才智があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない。

と言わせ、猿芝居の人であったと決めつけている。
 ただ、それだけではさすがに気が咎めたのか、

 慶喜はこの軽薄さについて内々にも悔いず、ひとにたいしても恥じなかった。胆力といえばこの点の胆気はみごとにすわっており、慶喜の行動はつねに自分ひとりが支持しているだけで慶喜はもう自足しているようであった。

とも言って、精神に欠陥のある者のように断じながら、これが「本来の貴族というものであろう」と憶測する。明治維新の大転換期を自ら担った徳川慶喜公がこんな精神異常者であるとも、またそれが「本来の貴族」だとも私は思わない。落合莞爾氏の慶喜公顕彰に心から賛同して、渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』を繙きはじめた所以である。