みょうがの旅    索引 

                      

 ラナウド・マクドナルドの日本憧憬 
      (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)4月15日発行第380号) 

●尾張熱田神宮の近くにある精進川に架かっていた裁断橋の擬宝珠銘文を想い出したのは、稲村公望さんが本誌に連載中の「黒潮文明論」にてラナウド・マクドナルドのことを紹介してくれたことがきっかけだった。いたく興味をそそられた私は早速『マクドナルド「日本回想記」』(刀水書房、一九七九)を入手して一気に読んだ。
 幕末の鎖国期に日本渡航を企てて捕鯨船の乗組員に傭われ、北海道焼尻島付近で母船から一艘の小船を降ろしてもらい一人で乗り移ったマクドナルドは、礼文島の沖合で漂流を装い地元のアイヌ人たちに救助される。そして、長崎に送られて強制送還されるまでのほぼ一〇ヶ月間、収監中の身でありながら真摯篤実な人柄から好感を持たれ厚遇を受ける中で、英語修得の必要を痛感しつつあった森山多吉郎など一四人の長崎オランダ通詞たちに日本最初の英語教授を行なったのである。
●ラナウド・マクドナルドはスコットランド系英国人でハドソン湾会社幹部だったアーチボルド・マクドナルドと北米西海岸インディアンのチヌーク族コム・コムリ王の末娘コーアル・クソアの間に一八二四年二月三日に生れた。つまり、スコットランド人とインディアンとの混血児である。英国式の教育を受けた後、父親のコネでカナダ中部セント・トーマスで二年間銀行員見習として勤めるが、日本への憧憬を抑え難く捕鯨船に乗る計画に取りかかる。
 ラナウドの日本への関心に火を点けたのは、一八三四年に日本人音吉たちが西海岸のフラッタリー岬に漂着してバンクーバー島でインディアンの奴隷となっていたのをハドソン湾会社支配人マクラフリン博士が救助して日本へ送還した、ラナウド一〇歳のころの事件だった。音吉らは米国商船で運ばれ日本への帰国を果そうとしたが幕府による撃退に遭って叶わなかった。いわゆるモリソン号事件(一八三七年)である。ラナウドはこうした日本人漂流民たちの事件から、何としても日本へ行きたいとの願いを抱くようになったのである。
●ラナウド・マクドナルドはその止み難い熱い思いを『日本回想記』の中の一節「神秘の国日本」で述べている。

 ……日本国民! 彼らこそ既存の諸国民のうちでももっとも古い国民であり、また愛国的団結のもっとも強固な国民である。すぐれて戦士的な民族である彼らは、世界のあらゆる強国をも──フビライ汗(一二七一~九二)から今日まで、みごとに撃退し、敵を国土に寄せつけなかったのである。
 古めかしい東洋の「ユートピア」!昔のアラビアの物語にでてくる伝説上の「ワクワク」。現存の人類中もっとも古い民族。はるかな豊穣の海によって岸辺を洗われ養われる「東方の島国」帝国。驚異にみちた大洋のなかの驚異! ちょうど反対側の岸辺に住み、はるかな沖合いに探索の眼をみはるわれわれにとって、それはいつも強い好奇心の的だった。……
 ……それはまた、若く生れつき感受性の鋭敏な私の心に深くはいりこんで、もろもろの思考と熱望を勝手に育て上げ、私は憑かれたようにそれに支配された。
 私はどれほどの努力を払っても──さよう生命それ自体を犠牲にしてでも、できるならば、この神秘を自分で解いてみようと心に決めた。

 こうして、日本人音吉たちの漂流とカナダ漂着に心を動かされたラナウドは秘かに日本渡航を企てる。