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  日本語の系統と研究方法 
      (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)6月15日第384号) 

●素人ながら日本語について長く関心を抱いてきたので、最近の「常夜燈」欄の論考が日本語に鋭い関心を寄せているのに触発されて少し感想を記しておきたい。日本語の起源や系統に関して出版された本には出来るだけ目を配るようにしてきたが、画期的な新説と謳うものには珍説や奇説も多く、日本語の発展的研究の基礎とするには危ういと思えるものがかなりある。そうした中で、地味ではあるが言語学者村山七郎の一連の研究は、堅実な方法論に基づいていて、信頼するに足る労作であると考えられる。
●明治四一年生まれの村山七郎が一連の研究業績における比較的初期に発表した『日本語の語源』(弘文堂、昭和四九年刊)の「あとがき」で言語研究の方法論についてこう述べているが、納得できるもっともな説である。

 タイポロジカルな[形態論的な、の意味]類似点の存在が系統論の決め手になりえないことは比較言語学の常識であって、それを否定することはなにびとにとっても困難でありましょう。ひとはメイエの『印欧語比較研究序説』の「方法」の章を読む必要があります。また多くの言語において時代によって形態論の細部が変化するのは当然であって、これを否定する言語学者はありません。ただそのことから、「だから形態論の細部(details)は系統問題の決定的な証明力をもつものでない」と結論する言語学者はいないでありましょう。(二四五頁、[]内は天童)

 やや分かりにくい表現なので説明しておくと、言葉は時代と共に変化するので、ある一時代のある言葉をもって外国語のある言葉と比較して似ているからといって、系統関係を言うことはできない。時代と共に、あるいは地域によってどのように細部が変化したかを踏まえた上でなければ、比較の対象となりえない、と言うこと。
 つまり、日本語の系統を論ずるには、次のような方法に拠らなければならないことになる。

 形態論の時代的変化を調べつつ記録でたどりうる最古の状態に到り、そこから史前の姿を復元して他の言語と比較するのが比較言語学の常道です。日本語がそれを許さない、ということはありえません。(同書、同頁)

●このような「比較言語学」の常道的な方法論によって村山七郎が具体的にどのように比較を行なったかについては、今は省略する。村山七郎がたどり着いた結論だけを述べよう。

 原始日本語の成立を考えてみると、かつて日本列島の一部に行なわれていた南島系の言語がそのまま発達したものだとは、とうてい考えることができません。それはアルタイ・ツングース系の言語によって文法的に再組織された、という結論になるのであります。
(同書「序文」xxvi頁)

●ここで村山七郎が「文法的に再組織された」と指摘している点が重要で、南島的言語がアルタイ・ツングース系言語の文法によって整理されたのが、原始日本語だと言うのである。因みに、「原始日本語」とは「諸要素の混合(相互影響)の過程においてほぼ統一的体系をもつ言語が確立された状態」を謂う、としている。
 日本文明が北方ツラン文明と南方黒潮文明の共同によって誕生したことは常識的にも納得しうるが、日本列島で両文明がどのように関係し合ったかについて、比較言語的手法は具体的かつ確かな手掛かりを与えてくれる。