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 アイヌはどこから来たか──北方起源説 
            (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)7月1日第385号) 

●金田一京助(一八八二~一九七一)といえば、アイヌ語研究の開拓者として、またアイヌ人学者の知里真志保を支援薫陶した仁慈の人として、知らぬ者はいないほどに著名である。金田一京助はアイヌの起源に関し「北方説」を考えていた。すなわち、シベリアのはるか西方からやって来て樺太に渡り、南下して北海道に達したという説で、一言でいえば、アイヌの源郷はツランだとするのである。おそらく今日でも大方の人は、斯学の権威である金田一京介の「アイヌ北方起源説」を知らず識らずのうちに信奉しているはずだ。
●言語学者村山七郎が晩年の金田一を昭和四三年八月に訪ねた際も、金田一の所説に変わりはなかった。金田一はアイヌ語研究に進もうとする若き村山七郎にこう述べた。

 私はアイヌがシベリアのずっと西の方から東進して黒竜江下流に到り、今の河口近くでカラフトに渡り、次いで南下して北海道に達したと思う。
(村山七郎『アイヌ語の起源』一九九二、三一書房刊、三八頁)

 金田一京助は畢生のアイヌ語研究の成果を『アイヌ語研究』(一九六〇、三省堂)として公刊したが、そこでもアイヌ北方説を唱え、さらには、

 抱合語(一つの単語に意味的、文法的な別の要素を付加し、より複雑な意味を表現する言語。チュクチ族などの極北種族の言語からアメリカ・インディアンのアルゴンキン語族、さらにはイベリア半島のバスク語などが抱合語とされる ── 天童註)という特徴的な語法を共有する点に於て、より多く北方文化の色を深く湛える。(村山同書三九頁より再引)

と述べて、「抱合語」としての特徴がアイヌ北方説を補強するとしている。だが、金田一は厳密な比較言語学的証明は行なわなかった。村山七郎は金田一のアイヌ北方起源説に与しない。

 金田一はアイヌ語と南洋語との語彙比較に手をつけなかったようであり、極北種族、アメリカ・インディアン、バスク語との語彙比較もしなかったようである。私は金田一のアイヌ語研究を高く、高く評価するが、そのアイヌ語系統論には賛成することはできない。(同書、四〇頁)

●一方、自らアイヌ人だったアイヌ語研究者知里真志保(一九〇九~六一)は金田一説を批判し、アイヌ人の進入経路として異なる説を立てた。

 私は昨年の秋[一九四八年か。村山]、当地[札幌。村山]に開かれた文化講座において、アイヌ民族は北方から渡来した民族であり、その渡来経路は恐らくカムチャツカ方面から千島列島を南下して北海道に渡り、その一派は太平洋沿岸を南下して釧路、十勝の浜伝いにエリモの崎を越えて日高のシズナイの辺まで進み、また他の一分派はオホーツク海に沿うて北上し、宗谷から一つの分派を樺太に送り、他の一派は日本海岸を南下して、ユーラップ、オシャマンベツの辺で二つに分かれ、一つの分派は箱館の方へ行って津軽海峡を渡り……。
(同書四〇~四一頁より再引)

●知里真志保はカムチャツカ半島より先のアイヌ人源郷については沈黙しているが、アイヌ人が北方系の民族だとする点では金田一説と同じである。
 だが、村山七郎はアイヌ語は南島語(台湾諸語やフィリピン語、インドネシア語、マライポリネシア語、さらにオーストロネシア語など)とこそ言語的系統関係をもつと言い、アイヌ語 'apeなどを例として証明する。