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 アイヌ語・日本語の南方語系統論 
        (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)7月15日第386号) 

●村山七郎は平成元年六月に開かれた日本言語学会第九八回大会において、「アイヌ語とオーストロネシア語との語彙関係」と題する発表を行なった。この発表こそ、アイヌ語と南方オーストロネシア語との系統関係を樹立する日本人言語学者として初めての試みであった。その短い論考は三年後に刊行された『アイヌ語の起源』(三一書房)の第Ⅲ部に一八頁にわたって収録されているが、当時のアイヌ語研究の第一人者とされていた知里真志保の説(例えば平凡社百科事典の「アイヌ」の項は知里真志保の執筆だった)に対する疑問から出発し自説を述べたもので、アイヌ語と日本語と南方語との間の系統関係を具体例をもって証明した画期的な研究だった。
●村山七郎がアイヌ語と南方語の系統関係を推測するに到ったきっかけは、アイヌ語で「火」を意味する'apeという単語であった。ところが、「火」を意味する南島語を見ると、ポリネシア語からメラネシア語、インドネシア語、フィリピン諸語、バタン諸語(台湾とルソン島との間の島々の言語)を経て台湾高砂族の言語に至るまで、つまりすべての南方語=オーストロネシア語が一貫して、アイヌ語の語形と極めて似ていたのである。これを北から順に辿ってみよう。

台湾高砂族の言語 apoy, apuy
バタン諸語 apoy
フィリピン諸言語 apoy, apuy, api, afi
インドネシア語 api
メラネシア語 avi, av
ポリネシア語 afi

 すなわち、稲村公望「黒潮文明論」の流儀でいえば、黒潮文明圏の「火」という言葉はすべて共通だったのだ。
●こうしてアイヌ語と南方語で「火」を意味する単語が共通であるとすれば、地理的にその中間に位置する日本語との関係が当然問題となってくる。
 この問題にいち早く気づいていたのが新村出だった。新村出は一九一七年の論文「日本人と南洋」でこう述べている。

 ……アイヌ語の火の呼称たるアベと馬来語のアピ(台湾にても東岸の卑南語等においてアポイと云ふ)との類似は蝦夷人と南洋人の太古に於ける言語上の関係を示すものではあるまいか。……日本語のヒ(火)の語は……アペやアビと関係つけぬ方が正当だと思う。
(村山七郎『アイヌ語の起源』一四頁より再引)

 大正年代という早い時期にアイヌ語と南島語との間で「火」を意味する言葉が共通していることに気づいたのは、『広辞苑』の編纂者でもある言語学者新村出の慧眼だが、せっかくここまで到達しながら日本語「火」との関係を新村出が否定したのは、学問がいかに遅々としてしか進まないかを示して余りある。ここで百尺竿頭の一歩を進めたのが、村山七郎だった。
●村山は日本語「火」(ヒ)が合成語を作るとき「ホ」に転化する(例えば、火中=ホ・ナカ、炎=ホ・ノ・ホ)ことに注目して、「火」の古形として、*poiを再構した(*は祖型の印し)。この祖型語*poiが奈良時代の記紀・万葉に記された古代日本語において、o→ï という変化を経てpïiとなり、一方合成語を作るときは「語幹収縮」によりpo-(ホ)となった、と考えた。 村山七郎が古代日本語よりもさらに古形の「原始日本語祖型」を考える上で常に参照したのが、ドイツ人南島語研究者オットー・デンプヴォルフの原オーストロネシア語祖型である。