みょうがの旅    索引 

                      

 古代日本語と琉球語 
 (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)12月15日第395号) 

●村山七郎『琉球語の秘密』(筑摩書房、一九八一年刊)にこういう話が出ている。昭和五四年二月に小川環樹と共に琉球諸島の言語調査に出かけたとき、沖縄本島首里にある琉球大学に琉球語研究で有名な仲宗根(なかそね)政善(せいぜん)を訪ねて年来の疑問について質問した。
 沖縄本島の諸方言では日本語の「野(の)」(no)を「モー」(mo:)と言うが、「野」をなぜ「モー」と言うのか、なぜ期待される「ヌー」(nu:)にならないのか、と訊いたのである。
 仲宗根政善の答は「それは最もむつかしい問題で、どう解釈してよいか、決まった考えはありません」(同書二一頁)というものだった。     
 仲宗根政善(一九〇七~九五)は戦時中に沖縄師範学校女子部教諭を務め、沖縄戦に際し引率教官としてひめゆり学徒隊を率いたが、戦後はひめゆり学徒隊の悲劇を伝えると共に、琉球方言研究において『沖縄今帰仁(なきじん)方言辞典』(一九八三)や『琉球語の研究』(一九八七)など不朽の業績を残した琉球語研究の第一人者である。
 ちなみに、仲宗根政善が初代所長を務めた「沖縄言語研究センター」が運営するウェブサイト(http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/nkjn/abs.html)では仲宗根の『沖縄今帰仁方言辞典』に採録された約一万五〇〇〇語に上る今帰仁方言のほぼすべてをデータベース化し、「標準語索引」により標準語での検索も出来るようになっているばかりか、見出語と用例には仲宗根政善の同級生だった中里源盛と山内光子の両名による発音まで完備している。
●村山七郎は『琉球語の秘密』でまず西田龍雄「チベット・ビルマ語と日本語の同系説」や大野晋「タミル語・日本語同系説」に対し、「木によって魚を求める」ようなもので、言語学者にあるまじき皮相浅薄な思いつきにすぎないと鋭く批判した後に、言語研究のあるべき姿として、次のように述べている。

 私たちは身近なところから比較研究をはじめるのが順当である。日本語に身近な言語──それは琉球語にほかならない。まず日本語と琉球語を、できるならば根本的にほりさげて両者の関係を明らかにし、そして両言語からその出発形を再構すべきである。再構形が一致するばあいもあるし、一致しないばあいもあろう。一致しないばあいは特に重要である。両言語の先史時代における状態への洞察がそのようなケースから得られると思う。日本語、琉球語の出発形の探求の土台の上に、琉球列島とつらなる台湾の原住民の言語、またバシー海峡をへだてて台湾とつらなるフィリピン・ルソン島の諸言語と琉球語及び日本語が関係がないかどうかをこまかく調べる必要がある。(同書「はしがき」x頁)

 村山七郎はみずから述べるこの方針に従って精力的に日本語と身近な言語(アイヌ語、琉球語、朝鮮語、台湾諸語、ツングース語、アルタイ諸語)との関係を研究し、独自の「祖型」を再構して日本語研究に一大画期を築いた。彼が再構した「祖型」は日本語の語源を明らかにすると共に、日本語の近隣言語との系統関係を解明して、日本語が決して孤立した言語ではなく、近隣言語の流れの中にあって独自の変化を遂げてきたことを具体例と共に示したのである。
●沖縄本島の諸方言でなぜ日本語の「野」がモーとなるのかを村山七郎が仲宗根政善に訊ねたとき、実は村山の中には自分なりの考えがあった。それは先に村山自身が注意を喚起しているように、「再構形が一致しない」「特に重要な」ケースだからである。同書の「第十章琉球語におけるツングース要素」において、日本語「野」と琉球語首里方言「モー」の問題を考えている。
 村山が言語の系統関係をどのように考えていくのか具体的によく示されているので順を追って辿ってみよう。
 まず、「野」が奈良時代の日本語では怒、努、奴などの漢字で表記される甲類のノ(nɔ)であったことを確認し、また古代日本語において単音節の母音は長い母音だったと見られるので実際には「ノー」(nɔ:)と発音されたであろう、と推測する。
 一方、首里方言でモー(mo:)と発音される「野」が他の琉球語方言でどのように発音されるかを、以下のように調べている(引用に際し一部改変)。

名瀬      nubaru(野原nu|baru)
亀津・志戸桶 haru(原)
瀬利覚     haru:(原)
茶花       paru
辺土名・伊江島・奥武 mo:
平良・池間・石垣    nu:
波照間     nuŋ

 果たして、平良・池間・石垣地方では日本語「野」をヌー(nu:)と発音して母音だけが異なっている。日本語ノ(nɔ)とノー(nɔ:)が琉球語でヌ(nu)とヌー(nu:)に変わるのは一般的であり、期待通りの語形となっている。また、名瀬以下茶花までの方言では、「野」を「野原」または「原」で言い換えたもので、特に不思議というわけではない。
 こうしてみると、やはり辺土名・伊江島・奥武という沖縄本島地方の方言においてモー(mo:)と発音されるのは特異と言わざるをえない。
●問題は沖縄本島方言ではn→mという子音の交替が起こっている点である。ところが、n→mという子音交替が起きる場合が稀にある。それは、「口蓋化」が起こった場合である。
 こうした変化を日本語の「読む」が首里方言「ユヌン」になる例で村山は説明している。
jumi(ユミ)-wum(ウム)∨jumjuŋ(ユミユン)∨junjuŋ(ユニユン)∨junuŋ(ユヌン)
この例のように、口蓋化したnすなわちnjから口蓋化したmすなわちmjへの場合にn→mという子音交替は起こりうる。つまり、nj→mjという子音の交替である。
 村山は古代日本語においても部分的にnj→mjという子音の交替が見られるとして、次の例を挙げている。

 ニホドリ →  ミホドリ(かいつぶり)
 ニラ   →  ミラ(韮)
 ニナ   →  ミナ(蜷)

 さて、沖縄本島諸方言で「野」がモー(mo:)であるとすれば、これに対応する古代日本語があったはずである。それに対応する古代日本語「ノー」(nɔ:)の祖型はnjɔ: であっただろう、と村山は推定する。
 さて、「ノー」(nɔ:)がムー(mu:)とならないでなぜモー(mo:)になったかという問題がまだ解決されていない。その理由はもともとnjに続く母音がo: ではなくて、oa だったからであろうと村山は推測する。つまり首里方言モー(mo:)の出発形は *njoaとなる。これは同時に古代日本語「ノー」(nɔ:)の出発形でもある。
 さらに、先に琉球語の諸方言形を調べたとき、波照間島ではnuŋという発音が採録されている。このことから、古代日本語と琉球語の共通の祖型として*njoaŋ「野」を立てることができる、と村山は言う。
 かくして、この日琉共通祖語として立てられた*njoaŋ「野」を村山七郎は満洲語のnjoaŋgiyan(niowanggiyan)「緑、緑色の」や女真語嫩江nun-giaŋ=njoaŋgiaŋ「青」、さらにモンゴル文語noγoγaŋ「草、緑、野菜」と比較し、これらが「同源であると見られる」と言っている(同書一一七頁)。
●そして、*njoaŋ「野」という日琉共通祖語が日本列島および琉球諸島に到来した経緯を村山は次のように推測するのである。

 おそらくこれは、朝鮮半島を経由して九州に到来したアルタイ・ツングース系言語が琉球列島──そこではそれまでアルタイ・ツングース系言語と異なった言語が話されていた──にはこびこんだ単語と思われる。上に琉球祖語形と言ったが、それはアルタイ・ツングース系言語が琉球に到来する以前の原琉球語がもっていた単語という意味ではなく、この原琉球語がアルタイ・ツングース系言語から受けとった語形という意味である。 (一一七頁)

●村山七郎の言語研究はここに、日本語・琉球語対応の一般規則に従わない特異な現象を徹底的に追求して日本語・琉球語の共通祖語を再構し、それをアルタイ・ツングース系言語と比較、それらの言語と日本語および琉球語の同源関係を明らかにしたのである。それはまさに、「一点突破の全面展開」とも称すべき快挙である。
 村山七郎はまた日本語・琉球方言と、台湾およびフィリピン諸島を含んで太平洋全域に広がるオーストロネシア語との系統関係も具体的に明らかにしているが、ここでは紙幅がない。
 日本語の「野」が言語的にも緑なすツランの大草原と繋がっていたことをこうして教えられ、また黒潮を通じて広大な太平洋の島々とも深い関係にあることを思うとき、わが日本列島では歴史開闢以来、多元文明の統合という困難な課題を、よく超克し得たものと思わずにはいられない。