みょうがの旅    索引 

                      

 ブリヤート人の住むマクソホン村 
       (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)3月1日第399号) 

●日本人にそっくりのブリヤート人が住んでいるのは、ブリヤート共和国のマクソホン村という所だ。
平成一三年放映のNHKスペシャル『日本人はるかな旅』の第一集「マンモスハンターシベリアからの旅立ち」の製作を担当したNHKのディレクター(浦林竜太と戸沢冬樹)はマクソホン村の印象を次のように語っている(ウェブサイト『ブナ林の古代史』の中の「シベリアの氷河期の遺跡」より)。

「ブリヤード人の住む村・マクソホン」
 今回、我々の最終目的は、ブリヤード(ママ)のウランウデの街ではなかった。日本でDNAの検索をした際、一つの重要な情報を手に入れた。データーベースから探っていった結果、縄文人のDNAと完全一致するブリヤード人の住む村を特定することができたのである。村の名はマクソホン。ウランウデから東に二五キロ、車で雪道を四時間。
 冬の間、村に向かう公共交通機関は一切ない。バスをチャーターして村に向かうことにした。激しく揺られながらウラウンデの街を抜け、地平線まで続く雪の草原をひた走る。所々に牧柵のようなものが張り巡らされている。ブリヤード人は昔から馬や羊の牧畜を行なってきた。夏は一面緑の大草原で家畜が草を食む風景が見られるに違いない。
 村に近づくにつれて、意外にも雪の量が減ってきた。すさまじい風のため、積もった雪が吹き飛ばされてしまうらしい。そんな吹きさらしの大雪原の真っ只中に、目指すマクソホン村は現れた。人口一六〇〇。この辺りでは比較的大きな村である。
 村に入ると、ブリヤードの民族衣装で着飾った大勢の人びとが、村の中心に向かって歩いて行く。二月二四日、この日はブリヤードの新年にあたる。
「サガルガン」という祭りの日なのだ。パレードが始った。
 パレードの行き交う間、馬や橇に乗った村人の顔に釘付けになっていた。日本人の顔にあまりにもよく似ているのだ。ブリヤードに入って以来、確かに日本人のルーツの地と言われるだけあって、日本人に似ている人も少なくはない。だが何か違和感がある。細長い目、極端に平べったい顔。大多数の人は日本人と言うよりモンゴル人に近いという印象だ。
 ところがここマクソホン村は、目の前を通り過ぎる村人の顔はまさしく日本人そのものだ。何故、この村の人たちはここまで日本人によく似ているのか。
 そもそも遺伝学者がこの村でDNAサンプルを採ったのは、純粋なブリヤード人の遺伝子を手に入れたいという理由からだった。ブリヤード共和国にもブリヤード人以外の民族が少なからず暮らしている。特に革命後、数多くのロシア人が移り住み、ブリヤード人との間で混血が進んだ。特に都市部で著しい。
 比較的純粋なブリヤード人の遺伝子が残されているのは都市から遠く離れた村である。と言うことで、比較的純粋な遺伝子を残しているブリヤード人と言うことになる。
 日本人にそっくりなシベリア先住民族は、ブリヤード人だけではない。シベリアを代表する先住民族ヤクート人、北緯七〇度のツンドラでトナカイを追うドルガン人、極東の大河アムール河で魚を捕って暮らすウリチ人。広大なシベリア全土に、日本人によく似た人びとが散らばっている。(引用に際して表記を一部改変)

 ただし、ブリヤート人たちが住んでいるこのマクソホン村はロシア革命後に出来た、一〇〇年にも充たない歴史の新しい村である。というのも、元々ブリヤート人は家畜を連れて移動する遊牧の民だった。ロシア革命後にその伝統的な遊牧生活を禁じられて、集団農場での家畜飼育を強制されてから、村での定住生活を始めたのである。
 マクソホン村は「ウランウデから東に二五キロ」とあるから、バイカル湖の東方に位置している。これに対し、マリタ遺跡は「イルクーツク市の北西八〇キロ」とされているから、かなり離れている。バイカル湖を挟んで東と北西の反対側に位置することになる。先の引用では明確に区別されていないので、あたかも「日本人そっくりのブリヤート人たちが住むマクマホン村でマリタ遺跡が発見された」かのように誤解している向きもあるが、間違いである。
●それにしても、ブリヤート人が先祖代々何千年も続けてきた遊牧という生業を、共産主義実験国家ソ連によって否定されたことは、何とも痛ましい限りである。
 かつて人類は同じ母親から生まれた兄弟姉妹が生きるために様々な仕事を分け合いながら父親に導かれ生活圏を同じくして暮らしてきた。血縁と地縁によって結ばれた人々が、生業のための作業を共同で営んできたのである。これは自然な結びつきによる人間集団で、その結びつきを「自然的紐帯」と呼ぶことができる。人類は長い歴史のほとんど全期間をこの自然的紐帯によって団結し、困難を克服してきた。
 ところが、一八世紀の半ばに異様な社会運動が登場して自然的紐帯による人間集団の破壊を宣言した。この社会運動は思想信条を同じくする者たちが生業を共にして平等な共同体を築くと標榜し世界中に蔓延した。共産主義、すなわち社会主義である。共産主義は血縁や地縁による人間の自然的紐帯を憎悪し、生業(生産)のみならず、育児・教育や生殖までも社会の要請に委ねるべきだと主張した。社会の要請とは、社会主義国家による人間管理の別名に他ならない。これは人間管理のための「人工的紐帯」と呼ぶのが相応しかろう。さらにいえば、それは紐帯というのも烏滸がましいほどで、正確には人間の「人工的似非紐帯」、もしくは「人工的解体」というのが正しい。
 血縁地縁の違いを超えて思想信条による人間の平等を唱える共産主義は、ユダヤ一神教の非神学的表現である。その神学的表現はイエスの「私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と敵対させるためである。私よりも父や母を愛する者は私に相応しくない」(マタイ伝第一〇章三五節~)という豪語に露骨な形で表現されている。人間の自然的紐帯に対するこの憎悪がイエズス会士をして世界中に趣かせ伝統的人間社会の解体に狂奔させたのである。イエズス会士アダム・ワイスハウプトのイルミナティ綱領を焼き直したマルクスの共産党宣言が、生業の共産化と共に育児・教育の国家管理を主張するのも、ユダヤ一神教の申し子たることを、端なくも露呈している。
 人類史上に初めて成立した共産主義実験国家ソヴィエト連邦の毒牙にかかってブリヤート人などのツラン同胞が遊牧を主とするその生業を破壊され、民族の言語や文化まで奪われたことは、まさに痛恨の極みである。もしも日本が頑として満洲に留まって満蒙工作に邁進し、長城以南の支那本土における権力闘争や利権争奪に誘引されなかったとすれば、シベリアや蒙疆青海西蔵におけるツラン同胞の民族性喪失に幾許かの歯止めを掛けることができたのではないかと、無念でならない。
●ミトコンドリアDNA分析は現代のブリヤート人と日本縄文人との間に高い確率で母系系統の遺伝的な完全一致があることを証明したが、同時に他地域でほとんど消滅してしまったミトコンドリアDNA型(ハブログループ)がそれぞれ少数ながらわが日本列島には多様に存在していることを、明らかにした。ブリヤート人に限らず遠く離れた他の民族との間でも完全一致する例が起こるということである。
 日本列島で多様な遺伝子型が維持保存されてきたことは、父系遺伝様式を追跡する手法として最近確立されたY染色体DNA分析でも確認されている。
 崎谷満『DNAでたどる日本人一〇万年の旅』(二〇〇八年、昭和堂刊)はこう述べている。

 ユーラシア大陸東部・東アジアにおいてはこのようにO系統(とくにO3系統)という地域特異的なヒト集団の膨張が歴史的に続いてきて、この地域のDNA多様性を喪失させてきた。それはヒト集団の多様性の減少だけに留まらず、文化的多様性や言語的多様性の減少を引き起こしてきた可能性が考えられる。しかしこの日本列島は、ユーラシア大陸の東部に位置しているという地理的条件にありながら、東アジアでは存在が困難であったヒト集団(DNA亜型)が生き残ることができただけでなく、多くのヒト集団が共存し、ユーラシア大陸東部では消滅した言語が生き残るというきわめて貴重な文化的遺産の存続をこの日本列島は保証してきた。(三七頁)

 つまり、わが日本列島には母系的にも父系的にも遺伝的に多様なヒト集団が消滅せず共存してきたことが、最近のDNA分析から明らかになったのだ。