みょうがの旅    索引 

                      

 Y染色体DNA系統O3の跳梁跋扈を阻止せよ 
               (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)4月1日第401号) 

●先に、父系の遺伝形式を追跡するY染色体DNA分析によっても、多様なヒト集団の系統がわが日本列島で保存され共存してきたことに注目したが、この「多系統共存型」のわが日本列島と対照的な、いわば「一系統排他型」とも言うべき酷薄の大地が支那大陸である。
 崎谷満も著書『DNAでたどる日本人一〇万年の旅』の中で、控え目ながら「ユーラシア大陸東部・東アジアにおいてはこのようにO系統(とくにO3系統)という地域特異的なヒト集団の膨張が歴史的に続いてきて、この地域のDNA多様性を喪失させてきた。それはヒト集団の多様性の減少だけに留まらず、文化的多様性や言語的多様性の減少を引き起こしてきた可能性が考えられる」と警告しているが、支那共産党による少数他民族に対する弾圧・殲滅政策は現在なおも一段と激烈に進行しつつあり、まさにDNA分析の憂慮を顔色無からしめるほどである。
 崎谷満が言う「地域特異的なヒト集団の膨張」とは、Y染色体のハプログループO(オー)3に属する「漢族」すなわち漢民族の膨張を指している。
●Y染色体DNA分析におけるO系統が発生した場所と時期について崎谷は次のように述べる。

 ……まずO系統へと分岐する以前の祖先型が、出アフリカ後、中東あたりあるいはインドを経て南ルートで東南アジア方面へ移動してきたことが推測される。そしてO系統の発祥の地として、東南アジア南部が想定されている。実際に北部に比べて南部の方がO系統の多様性が高く、北部のO系統の分布は南部からの遺伝子の流入で説明できるようである(Su et al.1999,2000, Jin et al. 2003, Wen et al. 2004a, Deng et al. 2004, Shi et al. 2005)。
 O系統の分岐の時期については、一万七五〇〇年前(Hammer and Zegura 2002)、あるいは一万七〇〇〇年前(Jin et al. 2003)ということが推定されている。またO系統の移動開始の時期は八一〇〇年前(Jin et al. 2003)と推定されている。(三二頁)

 新人類はアフリカ大陸に誕生して、一五万年前頃(諸説あり)にアフリカを出発、旧大陸の各地に移動した、というのが最近のDNA分析による人類系統論の定説となっているようだが、それは世界中のヒトの祖先を辿っていくと、アフリカに暮らしていた一人のアダムと一人のイヴに行き着くという説であり、理論としてはすっきりしていて遺伝子分析系統論の大前提となっている。ただ、私などには、余りにもすっきりしすぎているように感じられて、かえって極論ではないかと疑ってしまうのだが……。
 ともあれ、後に漢民族大多数のもつO3系統を分岐する新人類の流れはまず東南アジア南部に辿り着き、そこで今から一万七〇〇〇年ほど前にO系統を分岐させた。地図を見ると、ヴェトナムとラオスの北部から雲南省にかけての地域である。ここが東南アジアにおける第一次集住拠点となり、一万年近くここで暮らして後に、八一〇〇年前頃、北部に向かって移動を始めた。
●O系統は三つの亜型グループを生んだ。O1とO2、そしてO3である。このうちのO1は台湾先住民族に特異的に高い頻度で見られるという。すなわち、アタヤル族九八%、パイワン族九六%、ブヌン族七四%、ヤミ族七〇%、アミ族四三%という頻度である。さらに南方の島嶼部でも、フィリピン四一%、ジャワ二三%、ボルネオ南部一五%という高い頻度を示している。頻度の高い地域から容易に想像されるように、このO1系統は言語的には、オーストロネシア語族と関連がある。
 かつてスンダランドについて触れたとき、およそ二万二〇〇〇年前に最終氷期の最寒冷期を迎えた際には海水準が現在の海水面より一四〇メートルも低くなっていたが、最終氷期の終焉と共に世界中の海面が急激に上昇して、スンダランドという大陸が水没した。かつてマレー半島と繋がって大陸をなしていた今のスマトラ島やジャワ島は低い平野部が水没してしまい、海抜の高い部分だけが島となって残ったものである。生き残ったスンダランドの住民たちは北に向かって移動し、黒潮に乗って台湾やわが南西諸島、果ては日本列島にまで辿り着いたのではないかと想像したが、Y染色体DNA分析による人類系統論によると、先に述べた第一次集住拠点から東に向かって海岸に達し、そこから台湾へ、そして南方の島嶼部へと移動した、というのである。つまり、スンダランド消滅による南から北への移動ではなく、理由は詳らかにされていないが、北から南へという方向にO1系統は移動していったのだと崎谷満は主張する。
●O2系統は長江流域に展開して長江文明の担い手となったグループではないかと推測されている。O2系統そのものはすでに消滅してしまったらしく、O2からさらに分岐した亜型のO2aとO2bが確認されている。O2a系統は華南から東南アジアにかけて高い集積が見られる。 
 もっとも高い頻度を示すのは、タイ・ガダイ系言語を話すチワン族で六八%を示す。次いでタイ族が四八%で、タイもO2aの高頻度地域である。オーストロネシア系のジャワの四二%も頻度が高い。同じくオーストロネシア系ヴェトナム族も三六%と比較的高い頻度を示す。次にミャオ・ヤオ語族系のショア族で三五%、次いでシナ・チベット系言語の漢民族が三〇%である。
 このO2aについて崎谷はこう述べている。

 このO2a系統の特異な分布は、河南の長江流域にかつて繁栄していたが、華北の黄河文明の膨張によって壊滅してしまった長江文明(徐一九九八,鳥越二〇〇〇、安田二〇〇三,梅原・安田二〇〇四)との関連性をうかがわせることが推定されている。つまり、O2a系統は長江文明崩壊後、各地へ広がっていった長江文明の末裔たちの広がりを示している可能性が考えられる。(二八頁)

 この指摘は驚くべき内容を含んでいる。地続きのタイやヴェトナムに長江文明の末裔たちが住んでいるというのはまだ肯けるが、海洋遙かなインドネシアのジャワ島にも長江文明の末裔たちがいるというのは、常識に対する挑戦である。
●O2系統のもう一つの亜型であるO2bはわが南西諸島を中心に高い頻度を示す。すなわち、南琉球・八重山諸島で六七%ともっとも高い頻度を示し、朝鮮半島五一%、北琉球三〇%、東京でも二六%と比較的高い。
 このO2bは先のO2aと比べると、高い頻度を示す地域が狭い範囲に限定されていることが特徴である。ただし、低頻度ながら、満洲人が四%、ブリヤート人も二%とユーラシア大陸の北部にも分布しているのは興味深い。
 また、O2aが高い頻度を示す地域に頻度はやや低いながらも、重なって分布していることが指摘されている。つまり、タイ六%、インドネシア二〇%、ヴェトナム一四%といった具合である。 このO2bについて崎谷満は、長江文明崩壊後に東方へと逃れたグループではないかと言っている。

 第二章で詳しく検討するように、もしO2a系統と同様にO2b系統も長江文明と関係があるとすると、O2b系統は長江文明崩壊後に南方へ逃れたグループだけでなく東方へ逃れたグループも示していることが考えられる。東南アジアの歴史を考える上で、このO2a系統とO2b系統とを含むO2系統は、長江文明崩壊後の人々の離散の歴史と、現在にまでいたる共通文化(長江文明由来の水筒稲作文化)の基礎を提供しているのかもしれない。(同書二八頁)

●O2系統の分布範囲が地域限定的で、なおかつ遠隔地にも低頻度の分布を持つのに対して、O3系統は華北を中心に周辺地域へと高頻度から中頻度へのなだらかな勾配を示している。つまり、長江文明を滅ぼして取って代わり、爆発的膨張を続けているのがO3系統だと言えよう。
 華北漢民族六六%、北部では満洲族三八%、チベット族三三%、ホイ族二八%、モンゴル族二三%などであるが、南部でもトゥチャ族五三%、イー族三三%、華南漢民族三三%、台湾漢民族六〇%、ヴェトナム人四一%、マレー人三一%と高頻度から中頻度の大きな広がりを見せている。さらには、朝鮮半島三八%、日本列島にも東京二〇%、徳島二〇%、九州二六%、沖縄一六%と中頻度で蔓延しており、他の系統に見られる言語的障壁はO3系統の前には存在しない。
 人口爆発する漢民族の横暴がY染色体DNA分析の結果からも明らかに示されている。多様な文明を崩壊させ、支那流拝金主義一色に染め上げてしまう漢民族の跳梁跋扈を阻止しなければ、人類に希望満ちた明日はないのだ。