みょうがの旅    索引 

                      

 紀元前一〇世紀水田稲作開始 
      (世界戦略情報「みち」平成26年(2674)6月15日第406号) 

●日本における水田稲作農耕の開始は紀元前三〇〇年ころで、これをもって縄文時代が終わり弥生時代が始まる、とわれわれは教えられてきた。これをもっと詳しくいうと、こうである。
 大陸や半島から先進の水田稲作農法を携えて渡来した人々はまず北九州で水田稲作を始めた。そして生活用具の中心である土器においても、それまで日本列島で広く使用されていた縄文式土器に代わって弥生式土器を用いるようになった。それは紀元前三〇〇年ころのことであった。これより弥生時代が始まる。云々。
 こうした教科書的な常識は間違いであることが明らかになった。これまでの常識に訂正を求めることになった最大の要因は、年代を測定するときに使っていた物差しが間違っていたことである。物差しが狂っていたのだ。
●これまで客観的な年代測定法として用いられたのは「炭素14年代測定法」だった。
 大気中の窒素は宇宙線に衝突すると一定の割合で放射性炭素14に変換する。こうして出来た放射性炭素14は直ちに酸素と結合して二酸化炭素となるが、二酸化炭素中の炭素14はβ線を放出しながら崩壊し再び窒素に戻ってゆく。放射性炭素14はこのような生成と崩壊を繰り返しながら大気中で炭素12の一兆個に一個の割合で存在する。樹木は大気中の二酸化炭素を取り入れて成長するが、伐採された時点で二酸化炭素すなわち炭素の取り入れが停止する。しかし、すでにその木に取りこまれた炭素14はβ線の放出を止めず、崩壊を続けて窒素に戻る。そして炭素12の一兆個に一個の割合だった炭素14が二分の一の割合に減少する、つまり半減するには五五六八年掛かることが計算された。そこで、遺跡残留物から炭素を抽出して炭素14の含有率を測定すれば、絶対年(客観的な年代)の測定が可能となる。
 これが「炭素14年代測定法」の考え方で、米国シカゴ大学のウィラード・F・リビーが一九四七年に発見した。リビーはこの発見により一九六〇年度にノーベル化学賞を受賞した。
 この「炭素14年代測定法」は、

①炭素14の半減期を五五六八年としていたが、「五七三〇+-四〇年」らしいこと
②大気中の炭素14の濃度を数万年間は一定であるとしたが、必ずしも一定ではないこと

などの欠点をもっていたが、ほかに絶対年代を決定する手段がないため、改良・修正が求められた。
 ②について改良された点は、具体的には、樹木の年輪から実年代を確定し、年代の分かった年輪から採取された炭素試料を使って濃度を測定し、その時代の大気中の炭素14濃度を修正していくという作業で、一九八〇年代から始まった。この「年輪年代法」によって修正を施された「炭素14年代」を、calibrated(較正(こうせい)された)という意味で、その略語calを付して、紀元前はcal BC、紀元後はcal ADと表記することになった。
 また、当初は炭素14が崩壊するときに放出するβ線の回数をガイガー計測器やシンチレーション検出器を用いて数えたが、現代の炭素一グラムでも、四、五秒に一回しか崩壊しないので、測定にはグラム単位の炭素試料が必要であり、さらに測定に要する時間も長時間に及んだ。だが、一九七〇年代の末に、試料の炭素原子を加速器でイオン化して数える「加速器質量分析法」(Accelerator Mass Spectrometry=AMS法)が開発されて、ミリグラム単位の炭素試料でも短時間(三〇分~一時間ほど)で測定できるように改良された。
●このような改良・修正を施した新しい「較正炭素14測定法」に取り組んできたのが千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館である。そのウェブサイトを訪ねて「研究活動」の頁を開くと、一番下の「NEWS」欄に「弥生時代の開始年代について」という項目がある。これを開くと、「研究の経過」の欄で次のように述べている。

 国立歴史民俗博物館(以下、歴博)では、数年来、AMS法(加速器質量分析法)による高精度炭素14年代測定法とその歴史研究への活用を行ってきた。二〇〇一年度からは、科学研究費による三ヵ年計画で、共同研究「縄文時代・弥生時代の高精度年代体系の構築」を進行中である。
 この計画では、土器型式をはじめとする各種考古資料で得られている緻密な編年体系を、炭素14測定結果から得られる暦年代情報によって再構築し、縄文・弥生時代の年代的枠組みを、列島規模で構築することを目的としている。具体的には、考古編年の基礎となっている土器型式との関係を明確に確認できる資料の収集につとめ、試料の採取・観察・前処理・炭素試料作成(一部)を歴博の研究者が直接行い、AMS法による炭素14測定を米国、および日本の研究機関に依頼する形で調査研究を行っている。
 今回、縄文-弥生移行期の年代研究のため、九州各地を中心に韓半島南部までの範囲で、土器に付着したコゲ・ススを中心に、炭化物、木材、堅果等の試料について炭素14による年代測定を行った。測定法はすべてAMS法である。得られた測定結果は、国際的な標準となっている「暦年較正曲線」(補足資料参照)によって暦年代に変換した。
 これまで得られた三〇点以上の試料の年代データを分析し、弥生時代前期初頭の年代として紀元前八〇〇年前後(誤差三〇年程度)という数値を得た。これは、多くの教科書に採用されている前三世紀より、四〇〇~五〇〇年さかのぼる年代であり、従来、弥生時代早期(縄文時代晩期終末期とする研究者も多い)とされてきた前五~四世紀より三〇〇~四〇〇年さかのぼる暦年代である。(一部表記を縦書に改編)

 つまり、これまで使われてきた物差しは正確ではなかったので、改良された物差しで測ったところ、水田稲作開始と共に始まる「弥生時代」が四〇〇~五〇〇年も遡って、紀元前八〇〇年ころに始まることになる、と言うのである。
 また、「概要」の欄では、こう述べている。

 九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期(年表参照)にかけての土器(夜臼Ⅱ式土器・板付Ⅰ式土器)に付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって計測したところ、紀元前約九〇〇~八〇〇年ごろに集中する年代となった。
 考古学的に、同時期と考えられている遺跡の水田跡に付属する水路に打ち込まれていた木杭二点の年代もほぼ同じ年代を示した。
 これらの年代の整合性を確かめるために、前後する時期の試料、同時期の韓国や東北地方の試料の年代を測定した結果、以下のことがわかった。
1) 韓国の、この時代に併行するとされる突帯文土器期と松菊里期の年代について整合する年代が得られた。
2) 考古学的に、この時期と前後する土器の型式をもつ土器の試料の年代値と考古学的編年の間にはよい相関が得られた。
3) 遺跡における遺物の共伴から、同時代とされる東北地方の縄文晩期の土器の年代と強い一致が得られた。
 以上のように、夜臼Ⅱ式土器・板付Ⅰ式土器を使用していた時代は紀元前九~八世紀ごろ、すなわち日本列島の住人が本格的に水田稲作を始めた年代(夜臼Ⅱ式)は、紀元前一〇世紀までさかのぼる可能性も含めて考えるべきであることが明らかとなった。

●実は国立歴史民俗博物館の弥生時代開始年代についての研究活動を知ったのは、長浜浩明著『日本人ルーツの謎を解く──縄文人は日本人と韓国人の祖先だった』(平成二二年、展転社)のお蔭である。同志飯田孝一が薦めてくれた同じ著者の『韓国人は何処から来たか』(平成二六年一月、展転社)を読んで面白かったので、どんな人かと調べてみた。昭和二二年生まれで、東京工業大学を卒業した一級建築士である。本来理系である長浜氏が日本人のルーツ探しにのめり込んでいったのは、公教育はもちろん、司馬遼太郎や山本七平ら知識人の代表までも「日本人とは、朝鮮半島からやって来た渡来人を主とし、縄文人を従とする混血である」という謬見に汚染されていたからである。そこで長浜氏はそうした立論の根拠になっている材料まで精査し洗い直しを行なった。すると、文系の学問と称されるものは、STAP細胞小保方事件も顔負けの虚偽と強弁に充ち満ちていた。たとえば、小山修三の「縄文人口推計」もまったくの出鱈目だった。その「縄文人口推計」を自ら確かめもせず、多くの学者がそれに基づいて論を立てる。水田稲作は縄文人が紀元前一〇世紀ころに始めたのだが、それが何時の間にか「大量の渡来人の流入による先進文化の持ち込み」へとすり替えられたのだった。