みょうがの旅    索引 

                      

  敬神の伝統を生かせ 
   (世界戦略情報「みち」平成9年(2657)12月15日第43号) 

●余すところわずかしかないが、平成九年は六十干支で丁丑(ひのとうし)の年であった。一説によれば、丁丑の年は変乱の年とされる。昭和一二年(一九三七)に盧溝橋事件が勃発し、明治一〇年(一八七七)年には西南戦争が始まり、ずっと遡って寛永一四年(一六三七)年に島原の乱が蜂起したことをみれば、なるほど丁丑の年に変乱が起きている。しかし、変乱のない丁丑年もある。今年平成九年も後世から顧みれば、先年の阪神大震災やオウム事件の後でもあり、目立った変乱が起きた年とは見なされないかも知れない。
●だが、「変乱」というほどの大事件ではないが、意味するところの深い事件が今年は起こった。その一つが神戸の酒鬼薔薇聖斗事件、もう一つは日本を米中共同の敵と決めつけた新たな米中関係(本誌第四〇号世界情報分析「米中共同の対日敵視政策」参照)の出現である。いわばマクロとミクロの両極にある二つの事件だが、いずれも日本文明の零落した在り様を問い詰めたという意味で、象徴的である。
 神戸の事件は遠隔洗脳による家族関係・社会意識の崩壊を象徴し、対日敵視米中関係は日本という国家の不在を象徴している。
●さて、来年の平成一〇年戊寅はどういう年になるであろうか? 一説に、いつ何時変乱・動乱が起きてもおかしくない緊張を孕んだ年になるという。これは先賢の多くが習いとしてきたように、戊寅という干支の字形と字義を勘案して導かれた予想である。
 正朔暦数を干支で数えてきた殷代以来の東亜文明圏では、十干・十二支の文字それぞれに字義があり、二文字を組み合わせた干支にも重層的意味が込められている。
 漢字の字形と字義を知るためには、漢和辞典を参照するのが普通である。漢和辞典の大方が典拠とする後漢の許慎の『説文解字』(紀元一〇〇年ころ成立)には、戊を

 中宮なり。六甲五竜、相拘絞するに象る。戊は丁を承け、人の脅(むね)に象る。

と説き、寅については、

 正月、陽气動き、黄泉を去りて上り出でんと欲す。陰尚(なほ)彊(つよ)し。

と解説するが、いずれも当時の俗説である五行説に拠ったもので、字形・字義を正しく伝える説ではない。
●卜文(甲骨文字)・金文以来の漢字の字形・字義を研究して、真の文字学に値する学問を樹立したのは白川静博士である。白川博士は漢字の字形・字義を探求することから、漢字を産み出した東亜古代の文化・文明の有様を明らかにするに至った。それは一言でいえば、「呪祝」の世界である。
 白川博士の説くところでは、戊は

 卜文・金文の字形によると、戊は刃部が鉞に似ている大きな矛の形である。

と解説し、寅の字については、

 矢と両手に従う。両手をもって矢柄の曲直を正す形である。

としている。すなわち、白川説に拠れば、戊も寅も兵器の形ということになる。先に紹介した説も、ほぼこれに倣ったものであろう。
 だが、母音の年が必ず兵乱を意味すると考えるには及ばない。干支に使われた字形・字義と、その年がどのような年であるかの間には、それこそ千里の径庭があるからである。たとえ易や陰陽五行説に基づく占断が未来を予測しうるとしても、占断の根拠となる漢字の字形・字義そのものが、すでに易や五行説が成立した時代には失われていたからである。
●白川博士はまた、寅の字について、矢柄を正すという行為が神事的な意味をもつことを推測し、神霊に祭肉などを薦める儀礼に関係するのではないか、とも考えている。「寅畏」(いんゐ)という言葉のように敬の意味をもつのも、神事に関わる者の在り方に由来するのであろう。
 兵器は武器であると同時に、人が神に訴えるときの呪具でもあった。刀が霊振りの呪具とされ、初詣に破魔矢が尊ばれるのも、われわれの心の奥底に敬神の伝統が伝えられて残っていることを示すものである。
 来年が果たしてどういう年であるのかに拘わらず、この敬神の伝統を今日に相応しい形として生かす道を探ることが、深い伝統に立つわれわれの責務であるように思われる。